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ジーンズの鋲は、丈夫なズボンを頼まれた仕立て屋の工夫から始まった

古い広告の絵。上に「LEVI STRAUSS & CO'S PATENT RIVETED(リーバイ・ストラウス社の特許つき鋲留め)」の文字。その下で、2人の男が、それぞれ馬を使って、1本のズボンを左右に引っ張っている。絵には「It's no use they can't be ripped(破ろうとしても無駄。破れない)」の文字がある
Levi Strauss & Co. の広告(1900年以前)/ Wikimedia Commons(公有)

ジーンズのポケットの角にある、小さな金属の鋲(リベット)。1873年の米国特許の原文と会社の説明、公文書館のブログが紹介する証言をたどり、なぜズボンに金属を打ち込んだのか、そして後ろポケットの鋲がたどった道を覗く。

ジーンズのポケットの角を、見てみてほしい。

小さな金属の粒が、打ち込まれていることが多い。

飾りにしては、ずいぶん地味だ。この鋲(びょう)は、ある仕立て屋が、頼まれごとに応えて付けたものだった。そして会社の説明によると、同じ鋲は、のちに後ろポケットから姿を消している。

その来歴を、資料にあたってたどってみた。

夫のズボンを、丈夫に

舞台は、米国ネバダ州のリノ。仕立て屋のジェイコブ・W・デイヴィス(Jacob W. Davis)のもとに、ある頼みごとが届いた。

会社の説明では、頼んだのは、地元の労働者の妻だ。夫のために、「ばらばらにならないズボン」を作ってほしい、という。米国の国立公文書館のブログが紹介するデイヴィス本人の宣誓証言でも、一人の女性が、夫のためのズボンを丈夫に作ってほしいと頼んだ、となっている。

依頼の時期は、資料によって違う。リノの歴史を伝える団体(Historic Reno Preservation Society)は「1870年12月の末」と書き、公文書館のブログが紹介する証言は「1871年1月」。会社の説明には、年月が書かれていない。どれが正しいのかは、私には決められない。ここでは、1870年の暮れから1871年の初めごろ、とだけ書いておく。

依頼した女性の名前や、どんなズボンだったかは、私が見た資料には出てこない。

作業台の上の鋲

デイヴィスは、どうしたのか。

会社の説明は、こうだ。デイヴィスは、補強する方法を考え、力のかかる場所に金属の鋲を付けることを思いついた。

デイヴィス本人の宣誓証言も、残っているという。後に起こされた訴訟の記録の中にあるものだ。公文書館のブログの紹介によると、デイヴィスは、それまで、馬の毛布に帯状のひも(ストラップ)を付けるために、鋲を使っていた。作業台の上に転がっている鋲を見て、ポケットを留めるのに使えると思った。(証言そのものは確認できておらず、ブログの紹介で読んでいる。)

鋲は、英語で「rivet(リベット)」。金属の小さな棒を、布などに通して、両側をつぶして留める部品のことだ。

会社の説明にある「ズボンの補強」と、証言にある「馬の毛布の鋲」。二つを並べると、鋲は、ズボンのために用意された特別な部品というより、手元にあった道具を、別の困りごとに使ってみたものだったようにも見える。証言の紹介を読んだうえでの私の読みで、断定はできない。

工夫を、特許にする

デイヴィスが生地を仕入れていたのは、サンフランシスコの卸売業者、リーバイ・ストラウス(Levi Strauss)だった。リノの団体も、会社の説明も、そう書いている。会社によると、デイヴィスはストラウスに手紙を出し、「二人で特許を持とう」と提案した。

工夫は、特許という形で認められた。ここからは、特許の原本の画像を、直接読んで確認したことだ。

1873年5月20日に認められた、米国特許 第139,121号。題名は「Improvement in fastening pocket-openings」で、「ポケットの口を留める改良」といった意味だ。発明者は、デイヴィス。権利は、デイヴィス本人と、サンフランシスコの会社 Levi Strauss & Company(リーバイ・ストラウス社)に渡されている。出願は、その前の年、1872年8月9日。依頼があったとされる時期から、1年半ほどあとになる。

本文によると、目的は、ポケットの口の縫い目が、手を入れる圧力で裂けたり、ほころびたりするのを防ぐこと。縫い目の両端に穴をあけて鋲を通し、両側から打って、2枚の布をしっかり結びつける。そうすれば、力が縫い糸にかからない、と書いてある。

特許には、権利を求める範囲を書く「請求項」がある。この特許の請求項は、「ポケットの口の両端を、鋲で留めたズボン」を求めるものだ。

デイヴィス自身は、本文で、鋲が靴の縫い目を留めるのにすでに使われていることを認めている。1867年と1872年の靴の特許を、2件挙げたうえで、「鋲で縫い目を留めること自体は、広くは主張しない」と書いている。

原文を読んだ私の読みでは、新しかったのは、鋲そのものというより、ポケットの口の両端に鋲を使ったズボン、という形だったのだと思う。

鋲を付ける場所は、本文では、ポケットの口の両端だけだ。特許の図面には、そのほかの場所にも鋲の印があるように見えるが、本文には説明がない。会社の説明には、ボタンの付いた前開きの根もとも出てくるが、特許の本文からは確認できていない。

当時の米国では、特許の期間は、認められた日から17年だった。会社も、特許は17年で切れ、1890年には、鋲を使った服を作れるのが自社だけではなくなった、と説明している。ただし、この特許自体の満了日は、記録では確認できていない。

強さの代償

ここからは、会社の歴史担当者の説明による。

1873年のズボンには、後ろポケットが、右側に1つだけあった。会社の説明では、ポケットの上の角に鋲を打つことで、ポケットが裂けるのを防いでいた。1901年までに、後ろポケットは2つになり、そこにも鋲が付いた。

ところが、その鋲は、家具や鞍を傷つける、という苦情を呼んだ。

会社の説明では、変えるのは簡単ではなかった。顧客は鋲の強さを評価していて、変えれば売上が減らないか、会社は気にしたという。

隠して、やがて外す

会社が選んだのは、強さのために鋲は残し、覆って隠すことだった。1937年のことだ。ズボンには、「The Rivet’s Still There(鋲は、まだそこにある)」と書いた札を付けた。

この札には、私なりの考察がある。会社が、鋲の強さを評価する顧客を気にして、わざわざ札で伝えたのだとすれば、鋲は、飾りではなく、強さのための部品として見られていたのだろう。

しかし、覆った鋲も、長く使ううちにデニムがすり減って、むき出しになり、同じ問題が起きたという。会社は、1966年までに、後ろポケットの鋲をやめて、太い縫い止め(バータック)に置き換えた。その方法は、いまも続いている、と会社は書いている。

1935年の特許と、1937年の採用

隠し鋲の作り方には、米国特許第1,999,927号がある。会社は、1937年に、この新しい作り方を特許にした、と書いている。

特許の記録を見ると、少し違う。出願は1934年7月7日、付与は1935年4月30日。発明者は、ミルトン・グランバウム(Milton Grunbaum、サンフランシスコ)で、権利者の欄は、「個人」になっている。本文には、リーバイ・ストラウス社の名前は、出てこない。本文は、鋲が鞍の革や家具を傷つけることを、課題として挙げている。

つまり、会社の説明にある1937年と、この特許の付与(1935年)は時期が合わず、同じ特許のことなのかも、資料からは確定できない。

見慣れた小さな金属

ここまでで、はっきり言えることは、こうだ。

1873年に、ポケットの口の両端を鋲で留めたズボンが、特許になった。発明者は、仕立て屋のデイヴィス。権利は、デイヴィスとストラウスの会社が分け合った。鋲は、縫い目が裂けるのを防ぐための部品だった。

そして、会社の説明では、後ろポケットの鋲は、1937年に覆われ、1966年までに縫い止めに変わった。小さな部品も、困りごとに応えて、姿を変えていく。

呼び名も変わった。会社の説明では、このズボンは1960年まで「waist overalls(ウエスト・オーバーオール)」などと呼ばれ、その年にベビーブーム世代が「jeans(ジーンズ)」と呼ぶようになったという。

次にジーンズを手に取ったら、ポケットの角を見てみよう。そこにある小さな金属は、一人の仕立て屋が、頼まれたズボンのために手元の部品を使ってみた、その名残なのかもしれない。

見慣れた服にも、来歴がある。

出典

情報確認:2026年10月